猫の最期
12月2日11時ごろ、、ついにわたしの猫が16年半の命を終えました。
これから思い出すまま書いていきます。
忘れてしまいたくないから。
猫の最期・・そりゃあ、もうすさまじい死に方でした。
17年とはいえ、大往生ではなかった。
多分、腹水ヲもう持っていることが出来なくなったか破裂したか。。
ぎゃぁぁと言うような(息子によれば)声をあげて吐きはじめました。
それが死の始まりでした。
「おかぁ~さん」と呼ばれていってみると、猫が最後の力を振り絞って、、
茶色い液体を吐いていました。
身を捩り手足を突っ張らせながら、最初はどばぁ~ッと。
そして、もうどうにもならなくなったようにどぼどぼと。
口から鼻から溢れてきました。
心臓はまだ動いていましたが、、
瞳の虹彩に幕がかかったようになって、そのときに死んだんだと思います。
その後も少しだけ茶色の液体は出てきました。
気がついたら瞳を閉じることが出来なくなっていて、それがとても悲しかった。
夫が「まだこの世を見ていたいんだよ」と言いました。
息子と二人で汚れた身体や顔を拭いてあげて、姿を整えました。
背中の辺りから順に手足の先へと硬直していって、しっぽが最後でした。
あの腹水みたいなものを、医者は空気で腹が膨らんでいると。
あれを抜き取ってくれていたら、ちょっとだけ寿命が延びたのかな。
死んだ体は氷のように冷たくなっていきました。
死の序章は何時始まったのか・・多分11月24日か。
それまでも食欲はなくなっていたけどついに何も食べ物を口にしなくなった一日目だった。
まさか死につながっていようとはそのときは思わなかったけど3日も経つとこれは危ないかもと、死を意識した。
病院に連れて行って血液検査や点滴。
可哀そうだった、、本当に。
1回目は嫌がる力があったけど3回目はもうじっとしてされるがままだった。
そのときあと一週間ぐらいだねといわれたけど・・藪医者め・・なんで腹水、抜いてくれなかったんだ。
飲まず食わず寝ず、という日が続いた。
死ぬまで目を瞑らなかった。
横にもなれずに、病いと戦っていたんだなぁと思う。
それなのにやっと歩いている状態でトイレには行っていた・・偉かったね。
トイレといえば息子に外へ出してもらったときに12年ぶりに2度ほどオシッコしたそうだ。
家猫になって12年経っていたから・・気持ちよかったかなぁ・・ちゃんと、した後は均していたそうだ。
習性は失われていなかったんだ・・ほんとによかったね。
・・死んでからトイレの掃除をしてみたら、最後の4日間かな、、前日のお昼ごろが最後だったけど、、5回してありました。
1回がゴルフボールぐらいの塊・・だからほんのちょっとのオシッコだったのにね。
よろよろしながらトイレに行ったのかと思うと本当にいじらしい。
息子は実に色々面倒見ていた。
猫ミルクや水や鶏スープを注射器みたいなので口の端から入れてあげていたけどそれも1回1CCぐらいだったのかな。
死ぬ前日はそれでも5CCぐらい入ったみたいだった。
食欲もあったみたいだし水も飲みたかったみたいだけど、、どうも喉を通らなかったみたいだ。
医者は脾臓のガンかもと言っていたけど口内や喉も悪かったんだと思う。
死んだ日は朝方、息子の布団に入ってきてしばらくいたらしい。
冷え込んだ朝でしたが、、息子にお礼だったのかな・・。
(写真でも背骨がごつごつと見えているのがわかります。最期はもう自分の体の中のたんぱく質は使い切ったみたいにやせ細っていました)
「猫、骨になる」